富士山の神社

富士山の神社:石貫神社

富士山の神社:石貫神社

御祭神

御祭神大山祇命(おおやまつみのみこと)

由緒

石貫神社は、天平5年(733)の創建と伝えられる古社です。古くは日能若宮、又は石貫大明神と称されていました。創建時の記録「日能若宮元元由来記」によれば「大山祇命(中略)阿佐久良山?木原五百世山元築波山云留彼所事、歳月遠座也」の地にして、筑波御殿の遺称と伝えられています。

中世の往時には社殿、境内、宏荘森厳で、筑波御殿の名に背かざるもので、弘治2年(1556)6月の「古帳神社知行目録」によれば、幾度もの神饌田の増加の記録が現存しています。しかし天正15年(1587)、豊臣秀吉の島津出兵の際、羽柴秀長が兵を率いて都於郡に陣営した時、当時の石貫神社の祠官が軍令に従わなかった事から社領の多くが没収されました。

神社の西側には169段もの石貫階段があり、御祭神の大山祗命の御陵とされる大山祗塚へと続いています。例大祭の11月29日には、大山祇塚の前でも神事が執り行われています。

伝承では、木花開耶姫命を嫁にと請う悪鬼が、木花開耶姫命の父神の大山祗命より一夜で石造りの館を所望されて造ったという伝説も伝えられています。西都原あたりにいた鬼が、木花開耶姫命を見初め、大山祗命に嫁にと請います。困った大山祗命は、夜明けまでに大きな石の窟屋を造ることができたら娘をやろうと承諾します。喜んだ鬼は早速岩屋造りに取り掛かり、夜明け前に完成して安心した鬼は眠ってしまいます。

一方、出来る筈は無いと思いつつ、心配になり様子を見に来た大山祗命は、すっかり完成した岩屋を見て驚きます。大山祗命は、疲れて眠り込んでいる鬼に気付かれないように、岩屋の天井石を1枚抜き取り、投げ捨てます。大山祗命は岩屋が完成していないことを理由に鬼の申し出を断ったとされ、大山祗命が投げた石が落ちた一帯は「石貫」という地名で呼ばれています。

境内神社として、赤井神社(祭神・木花開耶姫命外一柱)、門神社(祭神・岩間戸二柱之神)、二宮神社(祭神・児屋根命、太玉命)、風神社(祭神・級戸神外四柱)、篠貫神社(祭神・磐長姫命)があります。

写真

一の鳥居

参道

二の鳥居

境内

境内

社殿

社殿

社殿

本殿

本殿

情報

住所〒881-0005
宮崎県西都市大字三宅4615-ロ
創建天平5年(733)
社格無格社 [旧社格]
例祭11月29日
関連 大山祇陵(大山祇命の陵)
鬼の窟古墳(大山祇命との鬼伝説)
都萬神社(木花開耶姫命を祀る)

地図・マップ

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