富士山の神社

富士山の神社:神代聖蹟 吾田長屋

富士山の神社:神代聖蹟 吾田長屋

御祭神

由緒

日本書紀では高千穂峰に降り立った皇孫、天津彦國光彦火瓊瓊杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと)は、住むのに適した場所を探して「到於吾田長屋笠狹之碕矣(吾田の長屋の笠沙の碕に到る)」とされています。

その神話の遺名の地として、昭和15年(紀元2600)年に神代聖蹟地(鹿児島県内11ヶ所のうち南さつま市は6ヶ所)に県から指定を受け、この長屋山山頂に神代聖蹟長屋碑が建てられました。

日本書紀ではこの後、「時彼處有一神 名曰事勝國勝長狹 故天孫問其神曰 國在耶 對曰 在也 因曰 隨勅奉矣 故天孫留住於彼處 其事勝國勝神者 是伊奘諾尊之子也 亦名鹽土老翁」と記され、伊奘諾尊の子である鹽土老翁(しおつちのおじ)が尊をお迎えし、自分の家に伴い、留住したとされています。