富士山の神社

富士山の神社:豊積神社

御祭神

御祭神木花之佐久夜毘賣命(このはなさくやひめのみこと)

由緒

創建は白鳳年間(7世紀後半)、または恒武天皇の御代、延歴10年(791)4月上旬初未の日とされ、延喜式神名帳に「駿河国廬原郡豊積社」と記された駿河国二宮とされています。

古代において物々交換の市場が営まれたところで、社伝によれば第40代天武天皇の白鳳年間ここに五穀の神「豊受姫」を祀る豊積神社が創建されたと伝えられています。その後、平安時代に入り木花開耶姫を祀る浅間信仰が広く流布され、延暦10年(791)、神主の夢想神託により木花開耶姫を祭神とし、豊受姫は稲荷社として境内社に遷宮されました。

伝えられる夢想神託では、第50代恒武天皇の御代、延暦10年(785)、神主の枕元に白衣の神女が現れて舞を舞います。光を放つ御姿の美麗な女神が「吾は浅間大明神なり、此処を斎庭と定め払ひ清めて御社を造営し、吾が神霊を斎き祀るべし。今より七年ノ後、坂上田村麿と称するもの、此地に来るべし」と告げ終わって、富士山へ飛び去ります。夢から醒めた神主は、神威を畏み謹みて礼拝し、境内を清めて社を再建します。

その後、神託のとおり延暦16年(797)の春、坂上田村麿が東征の途上、豊積神社を訪れます。坂上田村麿は戦捷を祈願し、神主より瑞夢託宣を聞き、その霊験を朝廷に奏上します。延暦16年(797)の9月14日に、勅使が参向し、豊積浅間神社の社号と官幣を奉わりました。

坂上田村麿は東征の帰路にも戦勝報告に立寄り、ここに戦勝祝賀の宴が盛大に催され、戦勝の御神楽が奉奏されました。それが旧正月一日とあり、御神楽は大太鼓をくり出し三日三晩夜を徹して町内をねり歩いたとされています。これが正月元旦から三日未明にかけて行われる静岡県指定無形民俗文化財「由比のお太鼓祭」の起源とされています。お太鼓祭りは、若松様とも称され、古来より開運厄除に霊験あらたかとされ、昔は旧正月の元旦より三日の朝まで盛大に執り行われていましたが、昭和37年1月元旦より太陽暦にて実施されています。

本殿は切妻平入りの総欅銅板葺流造。棟には内削ぎの置千木と鰹木を備え、均整の取れた建築です。棟札によれば文政8年(1825)の造営です。屋根は元々檜皮葺でしたが、明治22年(1889)に銅板葺に葺き替えられました。

徳川幕府より16石8斗5升の御朱印地を賜っており、天正17年(1590)巳年8月7日付の「由比之郷豊積神社御縄打水帳(神社領)」等、保有しています。

写真

鳥居

鳥居

鳥居

鳥居

境内

境内

大銀杏

本殿

本殿

本殿

太鼓祭り碑

山宮神社、日枝神社、須賀神社、稲荷神社、磯前神社

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白髭神社

白髭神社

情報

住所〒421-3105
静岡県静岡市清水区由比町屋原185
創建白鳳年間(7世紀後半)、または延歴10年(791)
社格駿河国二宮 [延喜式神名帳]
郷社 [旧社格]
例祭10月14日
神事由比のお太鼓祭(元旦~1月3日)

地図・マップ

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