富士山の神社

富士山の神社:静岡県側

富士山の神社:静岡県側

富士山の神社:静岡・概要

「富士本宮浅間社記」によれば、第11代垂仁天皇3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。その山宮浅間神社に祭られていた浅間大神を、水徳をもって噴火が静まるよう富士山の神水の湧く地、現在の湧玉池の地主神であった富知神社の旧地に遷座したのが富士山本宮浅間大社です。以降、富士山本宮浅間大社は浅間神社の起源・総本社として崇敬を集めています。

富士山本宮浅間大社の鎮座する富士宮市、そして富士市には富士山本宮浅間大社とその重要な摂社・末社、富士山の信仰とその歴史における重要な神社が集中しています。

また、静岡は南に開けた表富士として三保の松原をはじめとする景勝地、須山・須走・御殿場口といった東からの登山道の拠点としても崇敬を集めている地です。

富士山の神社:富士宮口(富士宮市・富士市)

浅間神社の起源・総本社である富士山本宮浅間大社の鎮座するのが富士宮市です。富士山本宮浅間大社を中心に、富士山の神社・信仰における一番の中心地と言って過言ではありません。

それと共に、富士山の八合目から上は富士山本宮浅間大社の社領となっており、富士宮口の山頂には摂社として富士山頂上浅間大社奥宮、そして須走口、吉田口の登山道頂上には富士山頂上浅間大社奥宮の末社として久須志神社が鎮座しています。

富士山本宮浅間大社の元宮である山宮浅間神社。富士講の始祖である角行が修行し、悟りを得た地である人穴浅間神社。修験、神仏習合の中心地であった村山浅間神社。それ以外にも市街地に富士山本宮浅間大社の摂社・末社が鎮座し、富士市にも富士山本宮浅間大社と密接な関わりを持つ重要な神社が数多く鎮座しています。

富士山の神社:東口(須走口・須山口・御殿場口

東海道沿いの登山道として東麓に位置する須走口と御殿場口の登山道。富士山の南東麓に位置する須山口。中世以降、隆興した東側の登山道は、須山口登山道が先に拓かれたとされていますが、江戸期以降、宝永大噴火などの影響も含め須走口が中心的な役割を担うようになりました。

宝永4年(1707)の宝永大噴火により登山道は壊滅的な被害を受けます。しかし、須走口は翌年には徳川幕府の支援の下に復興を果たします。一方、登山道が宝永噴火口に当たっていた須山口は復興には時間を要し、登山道の全体が復興したのは安永9年(1780)のことでした。明治16年(1883)には、御殿場口登山道が拓かれ、明治22年(1889)の東海道本線開通により須山口よりも御殿場口が人気を集めるようになりました。

富士山の神社:全域

伊豆半島の西寄り、そして三保の松原など駿河湾に沿って富士山を望むことができる静岡。各所で富士山に関わりのある神社が鎮座しています。中でも、富士山の麓で木花咲耶姫の父神で、山の神でもある大山祇命を祀る三嶋大社。富士山本宮浅間大社から分祀され、神部神社・大歳御祖神社との三社で総称されることとなった静岡浅間神社。木花咲耶姫の姉神の磐長姫尊を祀る雲見浅間神社が代表的な神社です。