御祭神 | - | 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと) |
御祭神を木花咲耶姫命とする無戸室浅間神社は、船津胎内樹型を木花咲耶姫命が出産した場所の「無戸室」と称して祀り、安産、子授けの御利益があるとされています。
17世紀の初め頃、富士講の開祖とされる長谷川角行が富士登拝を行った際、船津胎内樹型に含まれる溶岩樹型のひとつを発見し、その内部に浅間大神を祀ったのが創始とされています。延宝元年(1673)には、角行の後継の信者が富士登拝の折、現在の船津胎内樹型の中でも最も大規模な溶岩樹型を発見。浅間明神誕生の清地として改めて浅間大神を勧請しました。江戸末期の錦絵「富士山胎内巡之図」でも、最奥部の室で溶岩から滴り落ちる雫を妊婦のために持ち帰ろうとする姿が描かれるように胎内巡りの洞穴として知られるようになり、富士講中の登拝の際、潔斎して洞内くぐりをし、息災を祈願を行う地となりました。明治期に洞穴入り口に社殿が建てられ、富士講社から寄進された石造物や社宝の厨子入の富士講先達、藤井藤四郎の一本造り木像が安置されています。
信仰の対象となっている溶岩樹型の船津胎内樹型は、承平7年(937)の富士の大噴火で流出した、剣丸尾溶岩流が樹木を囲み固まったものです。複数の大木が複雑に折り重なってつくられた複合型溶岩樹型は、地質学的にも貴重な自然の造形物で、総延長は約70mほどもあります。
天井に溶岩鍾乳石が群生し、溶岩は鉄分のため赤色を帯びたその様相があたかも人間の体内を想起させることから胎内と名付けられ、延長20m程の「母の胎内」と15mほどの「父の胎内」からなり、特に6mほど続く入り口の肋骨状の側壁や突起状の天井は見応えがあります。周辺に点在する溶岩樹型とともに昭和4年(1929)に国の天然記念物にされています。