富士山の御祭神とされる浅間大神。その浅間大神がどのような経緯で木花咲耶姫命と同一視されるようになったのか。国津神の子を身篭ったのではないかとの疑いかけられたことで、自らの潔白を晴らさんがために産屋に火を放ち、三柱の神子をお産みになった故事。そこから火の神、火を静める神とされたからとされていますが、諸説あり、興味の尽かないところです。
一方で、木花咲耶姫命は天孫の瓊々杵尊との間に神子をもうけ、天皇家の始祖である神武天皇に至る系譜の元となりました。つまり、日本の出発点です。その天皇の系譜を見る上で最重要視されるのが言うまでもなく伊勢神宮です。
伊勢神宮と富士山との関わりで思い浮かぶのは、夏至のとき伊勢神宮の入り口ともされていた二見興玉神社の夫婦岩の真ん中から、伊勢神宮の御祭神にして天照大神そのものである太陽が昇ってくるという事実。偶然(?)とは言え、非常に印象深い“こと”として、心にとめている方も多いことでしょう。
これは、ある程度知られていること。しかし、その夏至のときの「富士山→伊勢神宮」のラインをもっともっと、も~っとずっと先まで延ばすと……。これはあまり知られていないのですが、実は、天孫として瓊々杵尊が降臨した地とされている地のひとつ、高千穂峰(ほぼ霧島神宮の地)に突き当たります。つまり、富士山(木花咲耶姫命)と高千穂・霧島(瓊々杵尊)の間に伊勢神宮が鎮座している。そして、それが夏至の日に一直線に並ぶ。
これは偶然なのかなとも思いますが、もしかしたらそうでないのかもしれない。しかし少なくとも、偶然ではないと思うと、様々な妄想たくましくワクワクできるものであるのかもしれない。「不思議だなぁ」と思いつつも、もしかしたら不思議ではないのだと想像膨らませてみても良いのかもしれない。
そのことが実際は何なのか。それはその時々の「その場」・「その時」に感じた、それぞれの方々に宿る「何か」なのだろうと思います。そこで最終的にどのような見方・視点を持つのか。それはそれぞれの自由です。しかし、富士山の御祭神とされる「浅間大神=木花咲耶姫命」。その基とされている地を巡ることで、より一層、富士山に対しての見方・視点も幅広いものになるのではないでしょうか。