御祭神 | - | 瓊々杵尊(このはなさくやひめのみこと)、木花開耶姫(このはなさくやひめのみこと) 火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) |
天孫の瓊瓊杵尊が日向の高千穂の峯より天降り、木花咲耶姫を妃として最初に皇居を定めた笠狭之宮の跡で、火照命・火須勢理命・彦火火出見尊の三皇子降誕の地です。吾田の長屋の笠狭の碕に上陸後、「朝日の直刺す国、夕日の日照る国ぞ。故、此地は甚吉き地」として、当地に宮居を建てたとされています。後世、これを笠狭の宮といい、この地を御座屋敷(ござやしき)と呼んでいます。付近には土器石斧などの出土品があり、後方西北にある小高い丘は高塚と称され、その麓に清冽なる泉が湧くことから神代、この水を使い給ったと伝えられています。
南方の標高271mの竹屋ヶ尾(たかやがお)は、尊の妃、木花咲耶姫が、彦火火出見尊をお産みになった所とされています。当地、舞敷野(もしきの)の名称は、往古、竹屋ヶ尾に鎮座した鷹屋大明神の祭事にあたり、胡坐を敷き音楽を演奏し、舞を舞って、奉納したことによるとされています。
瓊瓊杵尊と木花咲耶姫は、その後、宮原の竹屋神社の地に宮居を移した後に、可愛山陵のある川内の新田神社の地へ移ったとされています。
住所 | : | 鹿児島県南さつま市加世田川畑舞敷野西 |
関連 | : |
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