皇孫瓊瓊杵尊が宮居を定むべき地を探し求めて吾田の長屋の笠狹の御前においでにになり、塩土の翁から領有地の献上を受けられ「ここは韓国に向かい、朝日の刺す国、夕日の火照る国なり、いとよきところ」といたく気に入られ、上陸後しばらく駐蹕した地と伝えられています。
上代より季節風、及び海上からの好標識であった野間岳の中腹、標高240mの宮ノ山遺跡の傾斜地には、京塚のほかにドルメンと思われる岩窟が3ヶ所、住居跡と思われる積石塚が3ヶ所あり、弥生式土器などが多く出土しています。古くから文化地域であったことを示す巨石遺物などから、神聖で由緒ある地とされています。
住所 | : | 鹿児島県南さつま市笠沙町赤生木宮山 |
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